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「しろ」のディズニーシーに行った日だけ日記

「しろ」のディズニーシーに行った日だけ日記

2011年4月11日



   「 海を眺める 」






東京ディズニーリゾート周辺では、多くの場所から海を眺めることができる。



東京駅からJR京葉線に乗って舞浜駅に到着する直前の車窓からも、リゾート内をぐるっと回るディズニーリゾートラインの車窓からも、そして精巧に創られた架空の世界である東京ディズニーシーのパーク内からも 私達は本物の海を存分に見ることができる。

東京ディズニーシーの一部となっている宿泊施設ホテルミラコスタからも、上階の客室などからは窓の向きによっては 美しい箱庭のようなパークの景色に続くように広がる大海原を眺めることができる。




私は東京ディズニーシーで、いろいろな場所からこの「本物の海」を何も考えずただぼんやりと眺めて過ごすのがとても好きだった。


ポンテヴェッキオに沿って走るエレクトリックレールウェイに乗れば、S.S.コロンビア号の向こうにそれは まるで豪華客船の出航を待っているかのように希望に満ちて見えた。

ハドソンリバーブリッジをビッグシティヴィークルで行く時、それは案内人の手によってあっという間にアメリカ東海岸から望む大西洋になり代わり、深呼吸すれば胸の中を潮の香りでいっぱいにしてくれた。

そして一年のうちでもちょうど今ごろの時期は、ホテルミラコスタの客室から額に手をかざして遠くに眺める海はとても穏やかで、春の陽射しに輝く細かな波を見ていると私は知らず知らずのうちに とろん とした顔になってしまい、夫に笑われたものだった。


この場所では「本物の海」はそうやって仮想と現実の狭間にぼんやりとあって、私はそれをいつも夢心地で眺めてきた。







去る3月、大きな地震ののち夜になって帰宅した私は、テレビをつけて初めて 今までの人生で一度も見たことのないような海の姿を目にした。

その夜、首都圏では地震の影響で主な交通機関が殆ど機能しなかった。
やっと繋がった電話の向こうで夫は  歩くしか手段がないから帰宅は深夜になる  と言った。


夫の帰りを待つ数時間、私は家で独りで 地震の揺れで棚の上から落ちた物や崩れた本棚や 壊れた食器を片付けた。
そして何度もやってくる余震の中で 繰り返しテレビ画面に映し出される海を見た。

私が訪れたことのない 地図の上でしか識らなかった東北の浜辺を港を打ちのめし、町に残るわずかな小高い丘にまで襲いかかろうとする海の姿を見た。


それは海にとっても 不本意なことだったのかもしれない。
自らが望んだ姿ではなかったのかもしれない。

でも    ああ。

海を眺めるのが好き  という、私が今まで簡単に口にしていたそれは。
なんと甘く なんと軽い言葉だったことか。




それから数日後、あの日から「被災地」と呼ばれるようになった小さな海辺の町の小学校の卒業式の様子を、テレビのニュースは映し出していた。


    天は越えられない試練を与えたりはしないというけれど 
    試練と呼ぶにはあまりにも辛く 厳しい・・・
    大きな地震と津波は 僕達から大切なものを 容赦なく奪っていきました
    とても悲しいし とても悔しいです


寒々しい体育館で、卒業生代表としてそこに立った少年は 涙をこらえることもせずに言っていた。


    ・・・それでも僕達には あしたがやってきます
    僕達はこれからも生きて 大人になって この町を支えていきます 



何かを睨みつけるようなその少年の決意の眼差しがテレビ画面に大写しになった時、地震後それに起因して次々と噴出する公私大小さまざまなトラブルに鬱々としていた私は 頭を思いっきり殴られたような気がした。



そうだ。
私たちには明日が来るのだ。

明日が来る限り、私は生きていかねばならない。
生きて ここで私の普通の日々の暮らしを続けていかねばならない。





あれだけ酷く大地が揺さぶられたのだ。
これから当分の間は 恐ろしいほどの回数の余震を覚悟しなければならないだろう。
ひょっとしたら私達の住む街にも もっと大きな地震が起こるかもしれない。

そして 東北のたくさんの海辺の町に再び人々の日常が戻ってくるまでには、長い年月と膨大な資金と人の力を費やさねばならず 気の遠くなるような多くの行程を辿らねばならない。
都会の店先にモノが再び元通りに並ぶようになるまで生産が回復するにはまだまだ時間がかかり、時には欲しい物が容易に手に入らないこともあるだろう。

あってはならない「想定外」の事態に陥った原子力発電所が静まるためには相当な時間が必要で、しばらくの間 空気中には今までよりもやや多い放射性物質が漂うのかもしれない。
農産物や海産物からも従来に比べたら多い量の放射性物質が検出されることもあるのかもしれない。
風が吹けば風向きが気になり、雨が降れば水道水の状態を私達は気にして生活して行かなければならなくなるかもしれない。

電力の供給量と消費量のバランスにも無関心ではいられない。

今まで気にもしていなかったことに細々と注意を払う生活を きっとこの先何年も、いや場合によっては何十年も私達は続けていかねばならない。



それでも私達は毎日を精いっぱい生きて そして自分の暮らしを着実に営んでいかねばならないのだ。

生かされている限り 明日の朝がやって来る限り。










あれから一ヶ月が経過し、東京ディズニーリゾートは 可能な限り早期に営業を本格的に再開する準備をしているという。


舞浜に特別な思いを抱く多くの人達がするのと同じように、私もいずれ再び東京ディズニーリゾートへと足を運ぶだろう。
なぜならそこは 毎日を過ごすうちに少しずつ軋んでしまう私の気持ちに絶妙な量の油を差してくれて、心の指針をプラスの方向に修正してくれる そんな稀有な場所だから。
わたしの普通の 暮らし の一部だから。


でもその時  数ヶ月の空白の後にそこを訪れた時。

東京ディズニーシーの あの美しい箱庭パークの向こうに広がる大海原は、どんなふうに私の瞳に映るのだろうか。












いま私の心は  海を眺める  という名のホテルの窓辺へと旅に出る。





もうずっと灰色単色の世界が続いてしまうのかとも思われたパークには季節が戻り花が咲き、香りと音楽が満ちあふれて歓声が響いている。

私はきっとこれからもここへ来て 海を眺めるだろう。
ここで他愛ないおしゃべりに和み、晴れやかな祝いの言葉や笑みをいくつも交わすだろう。


しかしひとたび 美しく平和な仮想世界の果てに広がる現実の大海原に目を遣れば、私の心はあっという間にあの3月の日へと飛んでいく。

時が過ぎれば それはやがてほんの一瞬だけのことになってしまうのかもしれない。

それでも私の中から あの日の全てが永遠に消え去ることはないだろう。
この小さな箱庭パークを一日に訪れる人々の数と変わらない数のいのちが、理不尽にも消えてしまった日のことを 私は忘れることはできないだろう。



私の眼前に広がる海があの三陸の海岸まで繋がっているのと同じように、毎日をただ生きていく私の命はあの地まで繋がっていってくれるだろうか。

自然の無慈悲さに怒り悲しみ 失われたものを思って嘆き それでも前進するのだという決意を抱いた多くの命まで それは繋がっていってくれるだろうか。

何万何千と数えて終わるにはあまりにも重すぎる 消えてしまったひとつひとつの命まで それは繋がっていってくれるだろうか。






ここへ来て 遠くに海を眺めるたびに 私は自分に問うだろう。
たとえ 心の底から楽しいのだ と歌っていても、本当にこの上なく幸福なのだ と笑って語っていても。


生き続けていく限り私の深淵でかすかに その問いは繰り返されていくだろう。








                             2011年4月11日 夜








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